東洋医学・望診

私が学校をやめたわけ。

そもそも

私がなぜ望診を始めたか・・・

これは、ご存知の方も多いですが、

21年前に、子宮がんになったことが

きっかけでした。

 

 

『今の体の声を聞いて
「食」で未来を変える具体策』

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こんばんは。

フェミニン望診トレーナー
霜崎ひろみです。

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それから、望診や食を学び、

実践してカラダが変わった!!

というすごい体験をしたこと

から始まったんですが、

 

もちろん、

最初から仕事にしていた

わけではありません。

 

望診や東洋医学講師を始めて、

今、16年ほどたちますが、

 

数年前までは、

高校で非常勤の教員と、

望診の教室の主席講師

&カリキュラム・テキストなど

を作ったり、運営もする

ダブルワークだったんです。

 

高校の教員としては、

大好きな母校で教鞭をとり、

後輩たちに教えながら、

ほんとにほんとに楽しい毎日。

 

 

同僚、先輩とも

楽しくお付き合いさせてもらい、

同級生が同じ教員にいたり、

保護者にも同級生がいたり、

アットホームで楽しかったし、

とてもやりがいを感じていました。

 

だけど、学校をやめました。

 

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それには、

2つ理由があります。

 

1つは、もっともっと深く、

東洋医学や食の勉強をしたい、

そのための時間がほしかったから。

 

もうひとつは、望診の師匠の

ススメがあったから。

 

年齢もその頃、49歳だったので、

舵を切るなら今かもしれない、

と思ったことが、最終的な決め手。

 

家族は大反対でした。

 

世間では、「教員」といったほうが

聞こえがよいし、

 

「望診」って何???という

感じですし、

安定した収入を捨てる事にも

なるから。

 

だけれども、決断しました。

 

(しばらくは、学校を辞めてから、

学校の近くまで行ってしまうほど、

恋しかった・・・)

 

 

もう、

戻るところはない・・・

 

そして、

 

教員のなり手は

他にもたくさんいるけれど、

 

「望診+食」を

伝えていけるのは、

ほんとに限られた人間だけ。

その役割を担うんだ、

という覚悟。

 

しかも、

自分が今まで積み重ねてきた

経験は、私しか語れない、、、

と思ったのです。

 

 

あの時の決断があったから、

今の私がある。

 

偶然なんかない、

必然だった。

 

ありがたいことに、

今でも、母校から、

「急に辞めた先生がいるから、

戻ってこない?」って

声をかけてくれることがある

けれど、もう私には、

この道しかない。

 

そんな思いです。

 

不調、不安を抱える女性が、

笑顔で元気になるように、

 

「望診(カラダサイン)」と

「食(食べるケア)」で

全力でサポートしていくことが

私の志事です。

 

もし、

今、変えたい体調があるならば、

フェミニン望診で、

1歩を踏み出してみません

か?

 

前に進む決断に必要なのは、

一瞬の勇気。

 

変わりたい!変えたい!方、

今、変わりましょう!

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それでは、今日もお疲れ様でした。

 

おやすみなさい。

 

 

フェミニン望診トレーナー

霜崎ひろみ(しもざきひろみ)

 

 

**プライベートプロフィール**

東京の下町出身でお祭り好き
今は、東京の畑もあるあたりに在住

動物占い:コアラ

好きなことやもの:
旅行・カフェ・朝ドラ

得意なこと:
人の名前を覚えること
(この頃少し衰えてきた)

 

 

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